「いっずみ!中休み中に勉強何てどんだけ真面目なのよ?ほら、外をみよ、泉殿。太陽が眩しく地に降り注いでるではないか!」
「だからわたしは暑さに弱いの。クーラーに浸ってたほうが断然有利じゃん。それにさ、水墨怜(すみれ)は気付いてないと思うけど、次古典のテストだよ。」
「おぉ!やばっ!」
「…相変わらず元気でいいね、水墨怜。」

あの、泉は苗字ですよ、と思わずつっこみたくなってしまう。返される答えは常に同じだと分かりきっているので、もう喉まできてまた飲み込んでいる。こんがらがるとか言ってるのに水墨怜は坂本を『さっかもっとくん』と呼んでいる。


これまた大笑いしている男子らに取り囲まれ、坂本が入ってきた。きっとまた何かジョークを披露したのだろう。正直なにがそんなに大爆笑させるのか、わたしにはいまいち分からない。わたしが坂本のギャグで笑うとしたら、男子の爆笑ぶりにおもわず顔がにやけてしまうか、風刺の笑いになるかもしれない。


授業中、先生に指されても、坂本は立ち上がり、しばらくの沈黙。はっきりと時計の針が、カチカチも時を刻んでいくのが聞こえる。口を開き、とうとう答えを言うかと思ったら「分かりません。エヘへ。」とへらへら笑う。

まあ、そんなことは誰にでもある。しかし毎日だ。その口をつぐんでいる時間をしっかりと計るわたしも暇人だが、いつもちょうど十四秒で「分かりません。」と言うのが判明できた。
とにかく彼は先生にとって、ある意味問題児なのである。今では先生達も慣れてしまい、指名されることはほとんど無くなったけど、代わりの人などが来た時には、必ず大笑いが発生する。


六時限、彼は常に笑顔である。

HRの時だけはボーとしていて、窓辺に額を擦りつけて、外の僅かな自然の景色を眺めていた。入学時には満開の桜、ではなくその目は弱小集団の草花に向かっていた。五月は校庭に群生している、わたしも何か分からない花で、帰りに坂本に聞いたら石楠花(シャクナゲ)だと教えてくれた。雨の日には雫が垂れ落ち、花弁についている水滴は風の流れに乗った。

梅雨時の今、激しい雨に打たれる紫陽花も、弱弱しい雨が降り注ぐ紫陽花も、坂本は好きだと言った。厚い雲の隙間から注ぐ一筋の光があの密集している花々に当たる時、正に紫陽花何だな、と思った。淡い紫色の花弁は、太陽の光が最も少ない時期に開き、常に太陽を求め続けて生きる、紫陽花の名前が好きだ。


HRの長々とした先生の話が終え、「気をつけて帰れよ。」との声が坂本のタイマーらしい。すく、と立ち上がり、振り向きもせずに教室を後にする。後ろからかけられる「じゃあな」、「バイバイ」や「またあしたね」に首を少し曲げ、「うん、またね。」などとちゃんと返してから、とっとと階段を降り始める。
 全校で一番とは確定できないなら、彼は間違いなくわたし達のクラスで校門を出るのが一番だろう。スタスタと細道の影に消えるが、その後、坂本は一気にペースを落とすと気付いた。わたしが普通に歩いても追いつけるくらいのスピードに。


パラパラと時折降る時雨に、傘を開いたり閉めたりする。慣れてくると、小雨なら傘を差さないほうが楽になる。大雨だったら、折りたたみ傘の狭い輪っかの中に身を潜み、目線がついつい下に向いてしまう。そんな時にふとした小さな花などを見かけると、心が和む。石畳の隙間から生えてくる草花が商店街を彩り、店から流れてくる昭和年代の音楽が効果音となった。背景は段々と大きくなり、赤く燃え盛る夕日とそれを少しずつ隠す海原だ。

雨が止まり、まだ湿っている岩に立つと、一気に視界が開けた。少しの間で、荒々しかった波がすっかり平穏になり、ゆっくりと岩肌を撫でるように上がっては下がった。左の方の砂浜には坂本が靴まで脱いで、海にくるぶしほどまで入っていた。水がいとおしげに包み込むようにして上下する。
 水と彼が編み出す静寂なふいんきを壊さないように、一歩一歩、音を立てないように近寄った。所々草の生えている浜の上部で止まり、絵にもなるこの風景を見つめる。


「お前、海に入らないのか?気持ちいいぞ。」
ふと彼がわたしを誘う。
「ん?雨上がったばっかで気温低いから冷える。」
「そんなことないぜ?雨が降ったから水温が高いんだよ。」
「まさか、そんなにわたしに入ってほしいの?」
「…べつに。言っとくが、強制じゃないぞ。ただ、お前ならこの気持ちよさが分かると思う。」
わたしなら分かる?思わず水面を見る。今の水の流れは穏やかそうで、柔らかそうで。まるでわたしに手招きしているようだ。

「じゃあ今行く。」
靴下を脱いで靴に詰める。乾ききっていない砂の表面を駆けていき、打ち上げる波に足を入れた。スーッと足全体に水が纏わりつく。続いて、ぬるいわけでもないが、温かい気持ちにさせてくれるような感覚を味わった。


「まだまだ海水は冷たいよ。」 空を仰ぎながら呟いた。
「そうか?」
「でも心は温まる感じがする。」
「それでいいんじゃねぇか?」
「それもいいけど真夏に来た方がいい。」

「もう俺にとっては真夏だ。」


何故か、海に入り、この感覚を実感するのがわたし達の日常となった。

 

 

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