二 夢託

  

  

ああ、そろそろか。

障子から漏れる月にしては明るい光で辛うじて周りが見えるほどだ。

自分の部屋は筆一本とも場所が変わってない。それにしては埃も溜まってない。多分、父か兄が掃除させたのだろう。

 

蝋燭の光が風に揺れて消えたばかりだ。ほんのうっすらと白い煙が出ている。

布団の後ろにたたんである色とりどりの派手な着物を見る。先ほど、侍女が用意したものだ。

 

はずかしい、と愈は思う。簡素な衣服に慣れると、こういう派手なものをまた着るのが恥ずかしい。

どうせなら、と布団から這い出て、蝋燭にまた火を灯す。厚い布団から出ると、温度差で肌寒かった。

 

押入れを開け、一通り見てみる。幼い頃の着物はもちろん、すべて揃えてあったが、見事なほど身体に合う着物がずらりと並べてある。

これは誰がやったのだ?確かに九つの時、輝に「お前が元服する時までには帰る。」と約束した。「じゃあ俺はお前が帰ってくるまで元服できないじゃないか。」と輝が変な顔をしたのを覚えている。だがそれが分かっていても寸法など知らないはずだ。

考え事を頭から追い出し、愈は着物を選ぶ。ふと、目に留まったものがあった。

 

「これでよし、と」

誰かがいるわけでもないが、声を上げてみた。

さっきあった着物は片付けられ、代わりに白いのがあった。

素材は上等な錦でできているが、極めてシンプルで、梅の花が薄く彩っているだけだ。湧いてくるような雅が感じられる。

 

再び布団に潜り込み、愈は目を閉じる。しばらくすると、子供のような寝息が上がった。

 

* * *

 

「もう探すぞ!」

「待ってよ、お兄ちゃん!」

 

そう。暗い蔵に入ったはずだ。

漆黒の肩までの髪を乱し、四尺もいかない幼い愈はこれまで入ったことのない大きな蔵に入った。四つになったばかりの兄と遊んでいるのは、もちろん鬼ごとだ。

 

窓もない蔵の中は外の暑さと蝉の鳴き声を遮断したように静かで涼しくて、暗かった。この暗闇に愈は恐怖を覚えた。

それでもお兄ちゃんに見つかるまいと、必死に奥へと進んでいった。

 

壁のようなものに身体を張り付け、愈は息を潜めた。

「これならお兄ちゃんでも見つからない。」

そう喜んでいた。

 

ふと、手が四角のものの角に当たった。

「いったぁ~」

手を押さえて暗闇に慣れてきた目でそっちを見ると、埃の積もっている薄汚い蔵には不釣合いの隅々まで磨かれた箱だった。

上には凸凹と彫刻が施され、まだ何も理解できない小さな愈でもきれいだと思わず感嘆した。

 

もう鬼ごとなどそっちのけで蔵を走りだし、眩しい光の世界に慣れながら、父のいるところへ駆け出した。

 

「今度の今度は探しにいくぞ!ってどうして愈がここにいるの?鬼ごとの決まり分かってんのかな?」

 

一陣の風のように愈は疑惑を隠せない輝の前を走り去る。

途中で侍女や屋敷の奥方の止められてもすぐに振り切って、子供にしては大きすぎる屋敷の中を走った。

 

ただ、箱の中身を知るために。

 

「お父様!お父様!」

「何をそんなに慌てているのだ?」

縁側で涼を取っていた定則が笑顔を作り、振り返った。

「お父様!」

愈は必死に抱えていた箱を差し出す。

「中身を見てもいいですか?」

自分のではないものは、開けたりしてはいけない、と愈は教わった。定則が、好奇心旺盛な愈が大切な書などを勝手に探ったりさせないためのものだった。しかも愈は定則の言いつけを厳しく守っていた。

 

「それは…どこで見つけた?」

一糸の疑惑に、怒りが混じったような表情だった。愈は少しひるんだ。

「お兄様と遊んでいる時にあっちの大きな蔵で見つけました。」

定則は考え事のように頭を少しばかりかしげ、すぐにひらめいたのか、顔を赤くして、どこかに虫でもついているように手足をバタバタさせた。

「これはいかん。今すぐに戻して来い!」

あまりの剣幕に愈は目頭が熱くなった。自分でも目から汗がかきそうなのが分かるほどに涙は溜まっていた。

 

夕焼けが小さな孤独の影を映し出していた。

夕焼けは燃える炎より赤く、最後の力を振り絞って輝いているようだった。

影は漆黒の闇のように濃く、夕日の激しさとは対比している。

知らぬうちにもう一つの細長い影が現れ、小さな影と一つになった。大きなこぶと小さなこぶができあがって、どこか遠くに広がる山脈のようにも見えた。

 

「すまん。」

と長い影。

「え」

と小さな影は戸惑った声で聞き返す。

「さっきのことだ。あれは先祖代々に伝わる家宝だから、つい一時怒ってしまった。案ずるでない。」

薄い、細長い影が小さな影の肩に手をのせたようだ。そののせ方はまるで、壊れ物を扱うようだった。

小さな影は、大きな影の裾を握った。二つの影は山脈ではなく、一つの山のように合わさった。

 

* * *

 

ほとんど溶けた蝋燭のろうが流れ落ちる。

ポタッという音がしたのに反応したのか、安らかな寝息が途切れた。

 

ゆっくりと身を起こすと、布団のしわが一気に数を増した。

愈は手で顔をおう。

「昔の夢か。」

手の平を押し付ける。猫背になった。

ふと、濡れているのに気がついた。枕木も、水の跡がある。

頬を拭ってみると…生暖かい滴が流れ落ちた。

 

今更寝付ける状態でもなく、愈は真新しい、触ると何とも言えない感触の蝋燭を灯台に灯した。そして音が隣に響かないようにゆっくり立ち上がり、自分専用の本棚の引き戸を開ける。しばらく探ったあと、時間の流れですっかり忘れかけていた、昔、五つの時につけていた日記を取り出す。大人の日記を真似して、「兪心記」と名づけていた。合わせると、「愈」になる。

 

障子の外はまだ月の光がしんしんも注いでいる。

屋内から、乾いた紙をめくる音と、小さな呟きが聞こえた。

「泥梨刀とは、何なのだ。」

 

 

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