一 橘家 

 

 

村に入って少ししたところで右に曲がり、また川のところで橋を渡らず、そのまま左に行くと、突然、小さな村だと思えないほどの大きな門に辿りつく。造りは簡素で、一見普通だが、よくよく見ると、使っている木材などは極めて貴重で、控え目な高貴さがよく伝わってくる。

 

門を入ると、中は大層賑やかであった。

華やかな飾りがしており、絶えず笑い声が漏れてくる。

 

「定則どの、お祝いを申し上げますぞ。」

「ハハハ。今日は愚子、輝(ひかる)の元服ですから...これはこれはご丁重にありがとうございます。」

「しかし十八歳で元服とは...遅いが輝どのは聡明ですな。大器晩成と言うじゃろ。」

 

皮肉を帯びた言葉に定則は顔をしかめもせず、反対に微笑で客を客間に通した。

 

「ところで橘どの、ご令嬢はどこに。」

振り返って聞く客に定則は一瞬、顔を曇らせ、また笑顔に戻り、

「男女の別がありますから。」

しかしその笑顔はどう見ても苦虫をかみ締めたようだった。

 

客も揃ったところで、残った定則と家人は今日元服する輝を取り囲むように奥へ入る。

 

肴、酒の豪華さと言えば、その香りが周りの民家にも届いたほどだ。

人々は匂いに誘われるようにと門へと集まる。

 

その人込みを掻き分け、息を切らした人が小走りでくる。

 

「お忙しいところ、申し訳ございません。定則様!急報でございます。例の

何かを言いかけた家人を一瞥し、定則は立ち上がる。

 

「では、少々失礼させていただきますぞ。」

「どうぞ。ご勝手に。」

 

庭は中の騒ぎと比べ、あまりにも静か過ぎた。

「どうした。例のものは見つかったのか。」

「定則様はたいそう運がよろしいです。見つかりました。」

「誰が見つけた?」

焦っているのだろう。定則は身を前に傾ける。

 

「それが愈(ゆう)さまが戻ってこられまして、竹林を通り過ぎたときに取り戻しただとか。」

少し戸惑ったようにと家人が返す。

「なに、今なんと言った。」

「愈さまが帰ってこられました。」

「愈がどこにいる?今すぐにでも...

「中のお客さまがたはどうしましょうか。愈さまは今、休まれておることですし。」

「おぉ、それもそうだな。」

そう言うと、定則は何事も無かったように踵を返した。

 

* * * 

 

蝋燭の火だけが絶えず揺れる寝殿の中。所々に彫刻は施されていたが、色づけはされていなく、木造住宅のありのままの姿、美を体現している。

彫刻は精製で、色はなかれど、一つ一つが今にも生きて動きそうだった。

 

冠を取った定則が上座に座っていた。

 

「父上。娘、橘愈が帰って参りました。」

その定則の反対側に愈が跪く。

「そのことはどうでもいい。しかしここ八年、どこに行って何をしておった。」

「はい、実は

 

「何をしていたのだと聞いている。答えぬか。」

「も、申し訳ございません!唐の文学を学びに...

「何っ、そなたのような女子(おなご)が唐に行くべきでない。」

定則はいきなり声を張り上げる。

木の枝に止まっていた一羽の鵲(かささぎ)が鳴き声をあげて飛び立った。

 

「しかしっ」

「わが橘家は確かに文学の家だ。だがそれを理由に女子が唐の国に行って学ぶものではない。」

愈は心臓が締め付けられるような息苦しさを覚えた。

愈は定則があまり好きではなかった。その原因の大部分を占めるのが、定則は女を自分と同じに思っていないからだ。

 

「父上、泥梨刀です。」

赤い絹がすべり落ち、白檀(びゃくだん)で作られた箱が現れた。

「何故、文家の私達がこのような武器を授かっているのでしょうか。」

「知らん。しかし何があってもこの箱を開けてはならん。祖訓だ。」

 

 

外に出ると、夕暮れは過ぎ、燃えるような日の代わりに起きたばかりの月がまだ少し赤みの残っている薄紫色の天空にかざしていた。

時々吹く風にも揺れることのない凍った池の水面を茫然と見つめながら、石の橋を渡り、愈は八年ぶりのわが家の感触を取り戻していた。

 

足音がする。

反射的に振り返ると、輝がすぐ後ろに立っていた。

「兄さんあ、兄上。よろしいのですか、元服した男が御簾の隔てもなく女子を逢いにいくなんて。」

「止めろ。その言い方は気持ち悪い。」

「そう」

愈はすぐに下していた髪を結い上げる。

「この髪、邪魔だったんだよね。あと着物も。乗馬袴のほうが楽だ。」

 

「昔、ここで座ってあんたをからかったよね。私は。」

足袋を脱ぎ、石橋に腰を下す。足を薄く氷を張った水面にくっ付けた。

「ああ、俺はまだ鮮明に覚えてるぞ。お前がここに来て泣いた回数を。」

「このっ」

軽く力を入れて氷を破り、その破片を愈は輝に投げつけた。

 

「おい。まじめな話だ。愈、お前、文学を学んだだけではないだろ。」

「な~んだ、聞いてたんだ。私はまだ父上が苦手だが。」

「どうだ。」

「ま、確かに文学もちょっと学んだんだけど。すごいの、やっぱり唐の国だよね!

 そのあとの大半は武術。元より暗器。半年前、師門から出たばっかり。」

 

愈は欠伸をし、石橋に倒れこんだ。柳の木、桜、蝋梅。すべてを違う角度から見渡した。

「お前、警戒心ってものを知れ。」

「あら、兄さんはやるの?そんなこと。」

 

それでも一応、身を起こし、また足をばたつかせる。

 

「変わんねぇな、愈の瞳は。」

薄墨色に濃紺が縁取ったような愈の瞳は恐れられたこともある、神の祟りと。

「昔と同じようにきれいだ。」

 

愈はすぐに立ち上がり、橋を降りた。ちょうど純白と黄色に咲き乱れている蝋梅の木の上で振り返り、満面の笑顔で小さく、輝だけに聞こえるような声で言った。

 

「約束は守ってやった、馬鹿兄貴。」

 

 

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